瞳の中に閉じ込めて
机に向かって何やら熱心に本を読んでいた真由子が、ふと顔を上げる。
手にしていた理科の教科書を机に伏せ、椅子をくるりと回転させて背後を振り返り、
定位置となったベッドの上で、のんびりと横たわるとらの姿に表情を緩めた。
「とらちゃん」
『んぁ?』
名を呼ぶ声に欠伸混じりの返事をするとらの顔を、近付いてきた真由子が覗き込む。
『……何を見てる?』
「とらちゃんの、目」
『目?』
「うん。私とは全然違うんだなぁ、って」
とらの目には、人間のような瞳孔や虹彩はないように見える。
例えば、ホラー映画に出てくるような、白目をむいた人の顔はおどろおどろしくてとても怖いのに、
一面真っ白なとらの目は不思議と怖くはない。
目の奥を覗き込むような、妙に熱っぽい真由子の視線に、
徐々に近付いてくる心なしか上気した顔に、
とらは何となく居心地の悪いようなむず痒いような気持ちを味わう。
『なぁ、もう……いいだろ』
とらはそう言って視線を逸らすべく横を向こうとするが、すい、と伸びてきた小さな両手がそれを許さない。
「だぁめ。まだ見たいの」
真由子の真剣な顔が、また一段と近付いた。
目の表面は乾燥しないように薄く水の膜のようなものが張っているらしい。
時折うっすらとだが、シャボン玉の上に見える虹のようなものが表面をすうっと流れていくのが見える。
刻一刻と色を変え、不規則に動いていくそれは、
万華鏡のように一瞬一瞬が美しく、二度と同じ色やかたちが現れることはない。
飽きることなく己の目を観察しているらしい真由子に、とらは瞬きすることも出来ずにいた。
(……ったく。何がそんなに面白いのかねぇ……)
力関係で言えば圧倒的に己の方が有利なのに、
頬に触れた手を振り解けずにいるとらが小さく溜息を吐く。
「あ……」
『何だ』
「……見えた」
『何がだよ』
「とらちゃんの目の中にねぇ、私が映ってるの」
『……んーなのが、面白ェのか?』
「うん!」
そう言って笑う真由子に釣られて、とらは自身を見つめている大きな瞳を覗き込んだ。
「とらちゃんの姿、映ってる……?」
雨に濡れた黒曜石のように、艶やかな光を湛えた瞳いっぱいに映り込んでいる己の姿を、
とらは不思議なものを見るような面持ちで見つめる。
『……普通は、映らねーんだけどなァ』
姿を消している時のとらは誰にも見えないし、鏡にもカメラにも、
水鏡にすらその姿は映らないのだが――己の姿が見えているこの娘の瞳は例外ということだろうか。
「ね。自分の姿が他の人の目の中に映ってるのって、けっこう面白いでしょう?」
真由子は弾んだ声でそう言って、嬉しそうに目を細めた。
『ふぅん。わしが見えてる奴の目にだけは、映るってコトかねぇ』
だとしたら当然、うしおの目の中にも映っているのだろう。積極的に確認する気にはならないが。
「あ、見えないものは普通映らないよね……そっかぁ……」
口元を覆ってふふふ、と嬉しそうに笑う真由子に、とらが不思議そうな顔をした。
『何がそんなに可笑しい?』
「見えないってことはさ……とらちゃんのことを知らない、ってことだよね」
『理屈としては……まあそうだろうな。見えなけりゃ居ねーのと一緒だろうし』
「ということは、とらちゃんの姿は私の瞳の中にだけある、ってことになるでしょう?
……何かね、とらちゃんのことを独り占めしてるみたいで、それがちょっと…嬉しいんだ」
頬を染めた真由子が歌うような調子で言葉を紡ぐと、
瞳に映ったとらの姿を閉じ込めるかのように、ゆっくりと目を閉じた。
手にしていた理科の教科書を机に伏せ、椅子をくるりと回転させて背後を振り返り、
定位置となったベッドの上で、のんびりと横たわるとらの姿に表情を緩めた。
「とらちゃん」
『んぁ?』
名を呼ぶ声に欠伸混じりの返事をするとらの顔を、近付いてきた真由子が覗き込む。
『……何を見てる?』
「とらちゃんの、目」
『目?』
「うん。私とは全然違うんだなぁ、って」
とらの目には、人間のような瞳孔や虹彩はないように見える。
例えば、ホラー映画に出てくるような、白目をむいた人の顔はおどろおどろしくてとても怖いのに、
一面真っ白なとらの目は不思議と怖くはない。
目の奥を覗き込むような、妙に熱っぽい真由子の視線に、
徐々に近付いてくる心なしか上気した顔に、
とらは何となく居心地の悪いようなむず痒いような気持ちを味わう。
『なぁ、もう……いいだろ』
とらはそう言って視線を逸らすべく横を向こうとするが、すい、と伸びてきた小さな両手がそれを許さない。
「だぁめ。まだ見たいの」
真由子の真剣な顔が、また一段と近付いた。
目の表面は乾燥しないように薄く水の膜のようなものが張っているらしい。
時折うっすらとだが、シャボン玉の上に見える虹のようなものが表面をすうっと流れていくのが見える。
刻一刻と色を変え、不規則に動いていくそれは、
万華鏡のように一瞬一瞬が美しく、二度と同じ色やかたちが現れることはない。
飽きることなく己の目を観察しているらしい真由子に、とらは瞬きすることも出来ずにいた。
(……ったく。何がそんなに面白いのかねぇ……)
力関係で言えば圧倒的に己の方が有利なのに、
頬に触れた手を振り解けずにいるとらが小さく溜息を吐く。
「あ……」
『何だ』
「……見えた」
『何がだよ』
「とらちゃんの目の中にねぇ、私が映ってるの」
『……んーなのが、面白ェのか?』
「うん!」
そう言って笑う真由子に釣られて、とらは自身を見つめている大きな瞳を覗き込んだ。
「とらちゃんの姿、映ってる……?」
雨に濡れた黒曜石のように、艶やかな光を湛えた瞳いっぱいに映り込んでいる己の姿を、
とらは不思議なものを見るような面持ちで見つめる。
『……普通は、映らねーんだけどなァ』
姿を消している時のとらは誰にも見えないし、鏡にもカメラにも、
水鏡にすらその姿は映らないのだが――己の姿が見えているこの娘の瞳は例外ということだろうか。
「ね。自分の姿が他の人の目の中に映ってるのって、けっこう面白いでしょう?」
真由子は弾んだ声でそう言って、嬉しそうに目を細めた。
『ふぅん。わしが見えてる奴の目にだけは、映るってコトかねぇ』
だとしたら当然、うしおの目の中にも映っているのだろう。積極的に確認する気にはならないが。
「あ、見えないものは普通映らないよね……そっかぁ……」
口元を覆ってふふふ、と嬉しそうに笑う真由子に、とらが不思議そうな顔をした。
『何がそんなに可笑しい?』
「見えないってことはさ……とらちゃんのことを知らない、ってことだよね」
『理屈としては……まあそうだろうな。見えなけりゃ居ねーのと一緒だろうし』
「ということは、とらちゃんの姿は私の瞳の中にだけある、ってことになるでしょう?
……何かね、とらちゃんのことを独り占めしてるみたいで、それがちょっと…嬉しいんだ」
頬を染めた真由子が歌うような調子で言葉を紡ぐと、
瞳に映ったとらの姿を閉じ込めるかのように、ゆっくりと目を閉じた。