2月14日
『おめぇ、さっきがっこでうしおに何を渡してやがったんだ?』
いつものように真由子の部屋へとやって来たとらが開口一番そう尋ねた。
「あ……とらちゃん、やっぱり見てたんだ」
とらの声に、机に向かっていた真由子がくるりと振り返ると口元にちらり、と赤い舌を覗かせる。
「でもあれは義理というか……日頃の感謝の気持ちを込めて、だから」
『なーにブツブツ言ってやがる。で、アレは何だったんだよ』
口元を尖らせてどことなく不服そうな顔のとらに、真由子は笑って口を開く。
「あれはね、チョコレート。今日はね……バレンタインデーなんだよ」
耳慣れない言葉にとらが難しい顔をする。
『ちょこ……? ばれ……? 何だって?』
相変わらず横文字が苦手なとらに訊き返され、真由子が思わず頬を赤らめた。
「バレンタインデー。女の子がねぇ…好きな人に、チョコレートをあげる日なの」
『何ぃ? 好きな奴に、だとぉ! だったら何で……』
わしには寄越さねぇんだ、と喉元まで出掛かった言葉をとらは慌てて飲み込む。
憮然とした表情で黙り込んでしまったとらに怪訝そうな顔をしつつ、
真由子は椅子から立ち上がると小走りに部屋を出て行く。
その背中をとらの声が呼び止めた。
『どこ行くんだよ』
「んー? ちょっと…ね。すぐ戻って来るから」
ぱたぱたと軽やかな足取りが階段を下りていく音に耳を澄ませ、
とらは定位置となった壁際のベッドの上にごろりと身体を投げ出した。
何となく面白く、ない。
自分には何もなくて、よりによってうしおにはある、というのがどうにも納得いかない。
(ちぇーっ。アイツにとって『特別』だと思っとったのは、わしだけだったんかねぇ)
そこまで思ってすっかり骨抜きにされている己に気付いたとらは暫し呆然とする。
(わしは何を考えとるんだ。アイツはわしの「でざぁと」。単なる喰いモンだぞ)
『別にちょこ…何とかが欲しいわけじゃねーぞ。断じて違……』
がばり、と起き上がって口にしたとらの独り言は真由子の声で途切れた。
「とらちゃん、もしかして…チョコレート嫌いだったの?」
部屋の入り口で困った表情を浮かべている真由子に、とらが慌てて言葉を紡ぐ。
『あ……いや、そうじゃなくてだな。その……ちょこ何とか、っつーのは、美味いのか?』
思い掛けない疑問にぱちぱちと瞬きを繰り返した真由子が、ふ、と表情を和らげると、
小さな包みをとらの目の前に差し出した。
「はい。とらちゃんにもバレンタインのチョコレートだよ」
手のひらに置かれた箱を興味深そうに眺めながら、とらが口を開く。
『……これは、うしおに遣ったのと同じものなのか』
「え……」
急にもじもじと俯いた真由子に、今度はとらが首を傾げる番だった。
「うしおくんにあげたのは、駅前のデパートで買ったものだよ。
手作りのチョコレートは好きな人にだけあげる特別なものだから。
だから……とらちゃんにあげるね」
『わしだけに、か?』
「うん」
『特別ってことか?』
「好きな人は、いつだって特別なんだから」
真っ赤な顔でそう言い切って、とらの顔を見上げて笑う真由子に
胸の中で燻っていたもやもやとした気持ちはあっという間に霧散する。
『何だよ…そうか。何でぇ、そういうことかよ』
不機嫌な表情が一変し、たちまちウキウキと上機嫌になるとらに
真由子がくすくすと小さく笑った。
『喰ってもいいか?』
「うん……開けてみて」
言われるまま、とらは手の上の小さな箱をそっと開ける。
きれいに並べられたチョコレートは、少しだけいびつなかたちをしてはいるが、
それがとらには何だかとてもマユコらしいような気がした。
『これがちょこ何とかか?』
「うん。この前の日曜日にね、麻子と一緒に作ったの。
うしおくんには麻子が作ったチョコで……とらちゃんにはね、私が作ったチョコなの」
手の中の小箱から指先で慎重にチョコを摘み出すとそっと口に運ぶ。
舌の上でゆるりと溶けていくそれは、びっくりするほど甘い。
『む……何だか随分と甘ぇな』
「やっぱり、嫌いだった……?」
もぐもぐと動く口元を真剣な目で見ているその仕草がひどく愛しい。
『こんな甘ぇの、喰ったことねぇや』
とらの答えに真由子は驚いたような顔をする。
「あれぇ、そうなの? どうかな、美味しい……?」
『ああ。少々甘すぎるが、悪かねぇな』
「あー、良かったぁ」
ぱあっと花が綻ぶように顔いっぱいに広がる笑みに、何となく胸の支えが下りた気がした。
ほっ、と小さく息を吐いたとらに、真由子がふと真顔で訊ねる。
「とらちゃん、さっきまで何か怒ってた?」
『いや、別に。ただ……』
「なぁに?」
『ただ、ちぃとばかし面白くなかっただけだ』
「え? 何で?」
『そりゃあ……』
無邪気な顔で問われ、
何となくそわそわと落ち着かない気持ちを味わいながら、とらは重い口を開く。
『あのクソチビが貰えて、何でわしが貰えねぇんだ……って、オイ! 何笑ってやがる!』
口元を両手で覆い、真っ赤な顔で真由子はくすくすと肩を小刻みに震わせていた。
「だって……とらちゃん、可愛いんだもん」
『何がだよ』
「ヤキモチ妬いてたんだ」
『ばっ! そんなんじゃねーや』
決まり悪げにふい、とそっぽを向いた横顔に真由子は幸せそうな笑みを浮かべると、
目の前のとても単純でひどく純粋な金色の妖を、伸ばした両腕いっぱいに抱きしめた。
いつものように真由子の部屋へとやって来たとらが開口一番そう尋ねた。
「あ……とらちゃん、やっぱり見てたんだ」
とらの声に、机に向かっていた真由子がくるりと振り返ると口元にちらり、と赤い舌を覗かせる。
「でもあれは義理というか……日頃の感謝の気持ちを込めて、だから」
『なーにブツブツ言ってやがる。で、アレは何だったんだよ』
口元を尖らせてどことなく不服そうな顔のとらに、真由子は笑って口を開く。
「あれはね、チョコレート。今日はね……バレンタインデーなんだよ」
耳慣れない言葉にとらが難しい顔をする。
『ちょこ……? ばれ……? 何だって?』
相変わらず横文字が苦手なとらに訊き返され、真由子が思わず頬を赤らめた。
「バレンタインデー。女の子がねぇ…好きな人に、チョコレートをあげる日なの」
『何ぃ? 好きな奴に、だとぉ! だったら何で……』
わしには寄越さねぇんだ、と喉元まで出掛かった言葉をとらは慌てて飲み込む。
憮然とした表情で黙り込んでしまったとらに怪訝そうな顔をしつつ、
真由子は椅子から立ち上がると小走りに部屋を出て行く。
その背中をとらの声が呼び止めた。
『どこ行くんだよ』
「んー? ちょっと…ね。すぐ戻って来るから」
ぱたぱたと軽やかな足取りが階段を下りていく音に耳を澄ませ、
とらは定位置となった壁際のベッドの上にごろりと身体を投げ出した。
何となく面白く、ない。
自分には何もなくて、よりによってうしおにはある、というのがどうにも納得いかない。
(ちぇーっ。アイツにとって『特別』だと思っとったのは、わしだけだったんかねぇ)
そこまで思ってすっかり骨抜きにされている己に気付いたとらは暫し呆然とする。
(わしは何を考えとるんだ。アイツはわしの「でざぁと」。単なる喰いモンだぞ)
『別にちょこ…何とかが欲しいわけじゃねーぞ。断じて違……』
がばり、と起き上がって口にしたとらの独り言は真由子の声で途切れた。
「とらちゃん、もしかして…チョコレート嫌いだったの?」
部屋の入り口で困った表情を浮かべている真由子に、とらが慌てて言葉を紡ぐ。
『あ……いや、そうじゃなくてだな。その……ちょこ何とか、っつーのは、美味いのか?』
思い掛けない疑問にぱちぱちと瞬きを繰り返した真由子が、ふ、と表情を和らげると、
小さな包みをとらの目の前に差し出した。
「はい。とらちゃんにもバレンタインのチョコレートだよ」
手のひらに置かれた箱を興味深そうに眺めながら、とらが口を開く。
『……これは、うしおに遣ったのと同じものなのか』
「え……」
急にもじもじと俯いた真由子に、今度はとらが首を傾げる番だった。
「うしおくんにあげたのは、駅前のデパートで買ったものだよ。
手作りのチョコレートは好きな人にだけあげる特別なものだから。
だから……とらちゃんにあげるね」
『わしだけに、か?』
「うん」
『特別ってことか?』
「好きな人は、いつだって特別なんだから」
真っ赤な顔でそう言い切って、とらの顔を見上げて笑う真由子に
胸の中で燻っていたもやもやとした気持ちはあっという間に霧散する。
『何だよ…そうか。何でぇ、そういうことかよ』
不機嫌な表情が一変し、たちまちウキウキと上機嫌になるとらに
真由子がくすくすと小さく笑った。
『喰ってもいいか?』
「うん……開けてみて」
言われるまま、とらは手の上の小さな箱をそっと開ける。
きれいに並べられたチョコレートは、少しだけいびつなかたちをしてはいるが、
それがとらには何だかとてもマユコらしいような気がした。
『これがちょこ何とかか?』
「うん。この前の日曜日にね、麻子と一緒に作ったの。
うしおくんには麻子が作ったチョコで……とらちゃんにはね、私が作ったチョコなの」
手の中の小箱から指先で慎重にチョコを摘み出すとそっと口に運ぶ。
舌の上でゆるりと溶けていくそれは、びっくりするほど甘い。
『む……何だか随分と甘ぇな』
「やっぱり、嫌いだった……?」
もぐもぐと動く口元を真剣な目で見ているその仕草がひどく愛しい。
『こんな甘ぇの、喰ったことねぇや』
とらの答えに真由子は驚いたような顔をする。
「あれぇ、そうなの? どうかな、美味しい……?」
『ああ。少々甘すぎるが、悪かねぇな』
「あー、良かったぁ」
ぱあっと花が綻ぶように顔いっぱいに広がる笑みに、何となく胸の支えが下りた気がした。
ほっ、と小さく息を吐いたとらに、真由子がふと真顔で訊ねる。
「とらちゃん、さっきまで何か怒ってた?」
『いや、別に。ただ……』
「なぁに?」
『ただ、ちぃとばかし面白くなかっただけだ』
「え? 何で?」
『そりゃあ……』
無邪気な顔で問われ、
何となくそわそわと落ち着かない気持ちを味わいながら、とらは重い口を開く。
『あのクソチビが貰えて、何でわしが貰えねぇんだ……って、オイ! 何笑ってやがる!』
口元を両手で覆い、真っ赤な顔で真由子はくすくすと肩を小刻みに震わせていた。
「だって……とらちゃん、可愛いんだもん」
『何がだよ』
「ヤキモチ妬いてたんだ」
『ばっ! そんなんじゃねーや』
決まり悪げにふい、とそっぽを向いた横顔に真由子は幸せそうな笑みを浮かべると、
目の前のとても単純でひどく純粋な金色の妖を、伸ばした両腕いっぱいに抱きしめた。