日常的小話3

他愛のない話でとらとふたりひとしきり笑い合った後、
真由子はふぅ、と大きく息を吐い た。
「いいのかなぁ……」
とらの膝の上に座り背中を広い胸元に預けたまま、真由子はぽつりと呟く。
『何がだ?』
ベッドの上に腰掛け、背中を壁に凭れさせたとらが欠伸混じりの声で問うた。
「うん? こんなに幸せでいいのかな、って」
そう言って困ったような顔で真由子はとらを見上げる。
『はぁ? 幸せなら別にいいじゃねーか。何でそんな……浮かねぇ顔してんだ?』
「だって……」
今が幸せであればあるほど――それを失うことが怖い。
失くしたくないと思えば思うほど、失くした時のことを思うと気持ちが沈むのだ。
うまく言葉が見つからないのか、真由子はもどかしげに唇を噛む。
色を失くした唇にとらは軽く顔を顰めると、膝の上に座った小さな身体をそっと抱きしめた。
『おめぇら人間は本当に面倒だなぁ。何で今、目の前にあることを大切にしねぇんだ?
分からねぇ先のことなんざ、今から憂えたってしゃーねーだろうがよ』
耳元で響く低い声に真由子はゆっくりと目を瞑る。
「そうだけど……」
『……ったく、人間てぇのは欲張りで敵わんな。先の幸せまで約束したいかよ?』
「ふふ。出来るなら、ね……」
曖昧で不確かだということが分かっているからこそ、確実で変わらないものを求めてしまう。
「ないものねだり」だということは分かっているのだ。
『けっ。先の分かりきった未来なんざ、わしゃ嫌だね。
そんなの死んでるのと大して変わらねーじゃねーか。選べねぇんだからよぉ』
とらの言葉に真由子が目を見開いた。
『約束された未来とやらが幸せならいいけどよ、そうとは限らねぇだろうが。
どっちに転ぶか分からねぇから…おめぇらみたいな弱くてちっぽけな連中でも、
何とかやっていけるんだろ?』
真由子の小さな頭の上にとらの顎がそっと乗せられる。
身体で感じる幸せな重みに真由子が嬉しそうに口元を綻ばせた。
『それになぁ、先の心配よりも……まずわしの腹具合の心配をしてくれ、マユコ』
「え……?」
『ハラが減って仕方ねぇ。茶菓子じゃ満たされんぞ』
そう言って肩を落とし項垂れたとらのハラの虫がぐぅ、と盛大に鳴いた。
「そっか、もう夕方だもんね。私、ハンバーガー買って来るから、ちょっと待っててね」
くすくすと小さく笑いながら膝の上から降りようとする真由子を
とらの腕がやんわりと引き止める。
『もう暗くなるからよ、一緒に行ってやる』
「ふふ。とらちゃんありがとう」
とらの言葉に真由子は嬉しそうに目を細め、大きくひとつ頷いた。


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