星に願いを

「何だ。先帰ってたのかよ、とら」
うしおの大声に、屋根の上のとらがのろのろと身体を起こして大きな欠伸をする。
『何でぇ、うしお。そんなデカイ葉竹なんぞ持って……』
背丈よりも大きな葉竹を持って満面の笑顔でいるうしおを、
とらが不思議そうな顔で見下ろしている。
「知ってるか? 今日、七夕なんだぜ」
『あぁ? 何だそりゃ』
「あれ、牽牛と織女の伝説知らねぇの?」
『知らねぇなぁ……。だいたいそいつらは誰なんだ? おめぇの知り合いか?』
「違うよ。天の川で引き裂かれた恋人同士の伝説だよ。
この辺街頭少ないから、星がたくさん見えるだろ?
後で麻子と真由子が笹飾り持って来るから、それを笹に飾り付けてさ、
天の川見ながら七夕祭りするんだー」
「たなばた」とやらについてのうしおの説明はよく分からなかったが、
何だかそれが楽しそうなことだけはとらにも伝わった。
『……浮かれてやがんなぁ……』
屋根から降りてきたとらがしげしげと笹の葉を眺める。
「へへ。だってよぉ、季節の行事って何か楽しいだろ?」
うしおは上機嫌で軒先に葉竹を立て掛けると、縁側へ腰を下ろす。

***

『何だよ、そりゃ』
うしおが鞄の中から取り出した五色の細長い紙を見てとらが怪訝そうな顔をする。
「この短冊に願い事を書いて、笹に吊るすと願いが叶うんだ」
『けっ。下らんねぇ。んなこたあるわきゃねーだろがよ!』
「まぁな。でもいいんだよ、楽しいんだし。さて、何をお願いするかなー」
筆ペンを手にしたうしおが短冊を前に難しい顔をする。
――こづかいが上がりますように――
短冊からはみ出さんばかりの大きな文字でそう書くと、うしおは満足げに大きく頷いた。
「やっぱこれは外せないよなぁ。月額820円じゃ好きな画家の画集もなかなか買えないしさ」
興味津々といった表情で見ているとらに向かって、うしおが言う。
「とらも何か書くかー?」
『あぁ? わしは別に……』
「何かあるだろ? おまえ、ハンバーガー好きだからさ、美味い新商品が出るように願ってみれば?」
とらの手に短冊と筆ペンを預けて、うしおは立ち上がると短冊を笹に飾りつける。
『……ホーント、下らねぇ。でもまぁ、付き合ってやるか……』
手にした短冊にさらさらと何事かを書き付けると、
ひょいと飛び上がってとらは葉竹のいちばん上に短冊を結びつける。
「あ! そんな場所に飾るのかよ〜」
『ばーか。見るんじゃねぇぞ』
そういい残してとらはそそくさとその場から姿を消した。
「……見るなと言われると、見たくなるのが……」
笹を倒してとらの短冊を見てみれば、流れるような文字で何事か書き付けてある。
「短歌、かな……?」

  かくとだに えやはいぶきの さしも草
  さしも知らじな 燃ゆる思ひを

「国語は嫌いじゃないけど、古典はなぁ……。後で麻子か真由子に聞いてみるかな……」
頭に手をやって途方に暮れるうしおには、
とらの洒落た「告白」は少しばかり難しすぎたようだ。

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かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを

後拾遺和歌集・恋一 藤原実方朝臣

私がこのようにあなたを恋い慕っていますとだけでも言いたいのですが、
口に出して言うことが出来ないので、それほどの思いであるとも
あなたはご存知ないでしょうね、私のこの燃えるような思いを。
(旺文社 高校基礎古語辞典より)

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