赤い糸
沈黙ですら何だか心地のいい土曜日の午後。
ぱらぱらと雑誌を捲っていた真由子の手がふと止まる。
紙面に落としていた顔を上げ、
真由子はベッドの上にごろりと横になっている金色の大妖に視線を向けた。
「とらちゃんはさ、私の目に見えないものも見えていたりするの?」
真由子の声に長い耳をひくりと反応させ、とらはむくりと身体を起こした。
『あぁ?……目に見えないものって、何だよ』
「えぇとね、例えば……赤い糸、とか……」
『糸ぉ?』
真由子が何を言っているのかがとらにはさっぱり分からない。
そっと目の前に翳された左手の小指。
その美味そうな白く細い指に視線を遣るが──特段変わったところはなかった。
『ふぅん……。わしにゃ見えねぇなぁ』
とらの言葉に真由子は少しだけ残念そうな表情を浮かべた。
『だいたい……姿を消してるわしのことが見えるおめぇに、見えねぇもんなんてねぇだろ?』
「うぅん……そう、かなぁ……」
首を傾げる仕草に小さく笑って、とらは口を開く。
『で、そりゃ一体何なんだ?』
とらの問いに真由子の頬がぱっと朱に染まった。
「あのね……”運命の赤い糸”って知ってる?」
『何だそりゃ。喰えるのか?』
「ううん。食べ物じゃないよー?」
盛大に首を捻るとらの様子にくすくすと小さく笑いながら、真由子は言葉を続けた。
「運命の恋人同士の小指と小指を繋ぐ見えない糸でね、みんな誰かと繋がっているんだって」
真由子の答えにとらの困惑は深まるばかりだ。
『見えねぇのによぉ、どうして「赤い」って分かるんだ?』
「あ……そうだよねぇ。言われてみれば、おかしいね」
とらの言葉にもっともだと頷いて、真由子は照れ臭そうな笑みを零した。
『見えなけりゃ、そもそもあるかねぇかも分からんだろが』
「そうだけど……。でも、もしあるならね、私の赤い糸はとらちゃんと繋がってたらいいな、って思うよ」
『あぁ?』
「そうしたら、遠く離れても……私がいつか死んでも、
その糸を辿ればまた絶対とらちゃんと会えるでしょう?」
そうきっぱりと言い切った真由子が、さっきまで読んでいた雑誌をとらに渡した。
どうやら――真由子の疑問の発端はこの本であるらしい。
とらは細かい字で何やら書き付けてある紙面に黙って目を落とし、小さく溜息を漏らした。
こんな都合のいい話があるわけがない。
信じたいという気持ちはあるにせよ、真由子とて本気でその存在を信じているわけではないのだろう。
だいたい……「運命」だというのなら、どうしてこんなにも細く脆いものでしか繋がらないんだ?
人間は曖昧で妙なものを信じていると呆れもするが、
それでも――こんな風に夢見るようにふんわりと柔らかく笑う真由子を見るのは嫌いではなかった。
縋るような、それでいてどこか甘えるような黒目がちな瞳を覗き込んで、とらが言う。
『あのなぁ、糸みてぇな弱っちぃもので結んでたらすぐに切れちまうんじゃねーのか?』
とらの指摘に真由子はハッとしたような顔をする。
見る間に曇りだした表情に気付かない振りをして、とらは尚も畳み掛けるように言葉を続けた。
『ん……あー、そうか。それで、か。すぐに切れちまうようなもので結んであるから、
おめぇら人間は暇さえあれば相手を取っ替え引っ換えしてんのか』
ワザとらしく紡がれた言葉にたちまち真由子の瞳が潤み始める。
困った顔ですらひどく愛しく思う己にちらりと苦笑しつつ、とらはそっと真由子の小さな左手を取った。
『おめぇの言うその糸とやらがわしと繋がっているなら……色は赤じゃねぇなぁ』
「じゃあ……何色なの?」
真由子の問いに答えるように、するり、と金の髪が一筋伸びて小指に巻き付き――
それはそのまま金の輪となってその細い指の根本に留まった。
驚愕に大きく見開かれた真由子の目が、とらの顔と自身の指を交互に見遣る。
『離れていても、これでおめぇの気配は追えるぜ。見えねぇ糸よりも……こっちの方が確実だろ?』
「うん……うん! とらちゃんありがとう。大好き!」
とろりとした色の金の輪は真由子にしか見えない。ふたりだけが分かるふたりだけの秘密。
そのことに嬉しそうに幸せそうに笑うと、
真由子は目の前の大好きな金色の妖を、精一杯伸ばした両腕の中にぎゅっと抱きしめた。
ぱらぱらと雑誌を捲っていた真由子の手がふと止まる。
紙面に落としていた顔を上げ、
真由子はベッドの上にごろりと横になっている金色の大妖に視線を向けた。
「とらちゃんはさ、私の目に見えないものも見えていたりするの?」
真由子の声に長い耳をひくりと反応させ、とらはむくりと身体を起こした。
『あぁ?……目に見えないものって、何だよ』
「えぇとね、例えば……赤い糸、とか……」
『糸ぉ?』
真由子が何を言っているのかがとらにはさっぱり分からない。
そっと目の前に翳された左手の小指。
その美味そうな白く細い指に視線を遣るが──特段変わったところはなかった。
『ふぅん……。わしにゃ見えねぇなぁ』
とらの言葉に真由子は少しだけ残念そうな表情を浮かべた。
『だいたい……姿を消してるわしのことが見えるおめぇに、見えねぇもんなんてねぇだろ?』
「うぅん……そう、かなぁ……」
首を傾げる仕草に小さく笑って、とらは口を開く。
『で、そりゃ一体何なんだ?』
とらの問いに真由子の頬がぱっと朱に染まった。
「あのね……”運命の赤い糸”って知ってる?」
『何だそりゃ。喰えるのか?』
「ううん。食べ物じゃないよー?」
盛大に首を捻るとらの様子にくすくすと小さく笑いながら、真由子は言葉を続けた。
「運命の恋人同士の小指と小指を繋ぐ見えない糸でね、みんな誰かと繋がっているんだって」
真由子の答えにとらの困惑は深まるばかりだ。
『見えねぇのによぉ、どうして「赤い」って分かるんだ?』
「あ……そうだよねぇ。言われてみれば、おかしいね」
とらの言葉にもっともだと頷いて、真由子は照れ臭そうな笑みを零した。
『見えなけりゃ、そもそもあるかねぇかも分からんだろが』
「そうだけど……。でも、もしあるならね、私の赤い糸はとらちゃんと繋がってたらいいな、って思うよ」
『あぁ?』
「そうしたら、遠く離れても……私がいつか死んでも、
その糸を辿ればまた絶対とらちゃんと会えるでしょう?」
そうきっぱりと言い切った真由子が、さっきまで読んでいた雑誌をとらに渡した。
どうやら――真由子の疑問の発端はこの本であるらしい。
とらは細かい字で何やら書き付けてある紙面に黙って目を落とし、小さく溜息を漏らした。
こんな都合のいい話があるわけがない。
信じたいという気持ちはあるにせよ、真由子とて本気でその存在を信じているわけではないのだろう。
だいたい……「運命」だというのなら、どうしてこんなにも細く脆いものでしか繋がらないんだ?
人間は曖昧で妙なものを信じていると呆れもするが、
それでも――こんな風に夢見るようにふんわりと柔らかく笑う真由子を見るのは嫌いではなかった。
縋るような、それでいてどこか甘えるような黒目がちな瞳を覗き込んで、とらが言う。
『あのなぁ、糸みてぇな弱っちぃもので結んでたらすぐに切れちまうんじゃねーのか?』
とらの指摘に真由子はハッとしたような顔をする。
見る間に曇りだした表情に気付かない振りをして、とらは尚も畳み掛けるように言葉を続けた。
『ん……あー、そうか。それで、か。すぐに切れちまうようなもので結んであるから、
おめぇら人間は暇さえあれば相手を取っ替え引っ換えしてんのか』
ワザとらしく紡がれた言葉にたちまち真由子の瞳が潤み始める。
困った顔ですらひどく愛しく思う己にちらりと苦笑しつつ、とらはそっと真由子の小さな左手を取った。
『おめぇの言うその糸とやらがわしと繋がっているなら……色は赤じゃねぇなぁ』
「じゃあ……何色なの?」
真由子の問いに答えるように、するり、と金の髪が一筋伸びて小指に巻き付き――
それはそのまま金の輪となってその細い指の根本に留まった。
驚愕に大きく見開かれた真由子の目が、とらの顔と自身の指を交互に見遣る。
『離れていても、これでおめぇの気配は追えるぜ。見えねぇ糸よりも……こっちの方が確実だろ?』
「うん……うん! とらちゃんありがとう。大好き!」
とろりとした色の金の輪は真由子にしか見えない。ふたりだけが分かるふたりだけの秘密。
そのことに嬉しそうに幸せそうに笑うと、
真由子は目の前の大好きな金色の妖を、精一杯伸ばした両腕の中にぎゅっと抱きしめた。