きっかけ

──発端は、照れたような顔で尋ねた真由子の素朴な疑問。

「妖と人の間に……恋愛は成り立つの?」
真由子の問いに鼻の頭にしわを寄せてとらが唸る。
『あぁ? 何下らねぇこと言ってやがる』
「でも……知りたいし、聞きたいの。どうかなぁ?」
真由子のいつになく真剣な眼差しに気圧されて、とらがぶっきらぼうに答えた。
『あのなぁ。妖がその……人間と男と女のカンケーでつきあえると思うか?
生きてる世界も、時間軸も別なんだぜ?
昔から偶に聞く話だけどよ、最後はみーんなロクでもねーコトになるだろがよ』
ちょっとだけしゅんとした表情を見せるが、真由子はなおも食い下がる。
「でも、それでも幸せな関係を築いたふたりだって……いるんでしょう?」
とらの脳裏に北海道で出会った雪娘と男の姿が浮かぶ。
『……まぁな。いねぇことも、ねぇけどよ……』
「だったら……」
真由子の言葉を遮るように、とらがきっぱりと言った。
『わしゃそんなメンドーなのはイヤだね』
「だけどさ。やってみなかったら…どうなるかなんて、分からないことじゃないのかなぁ」
真由子は妙に熱のこもったまなざしでとらをじっと見つめている。
『マユコ……?』
その真っ直ぐな視線は背中を妙にざわつかせ、とらを酷く落ち着かない気持ちにさせた。
瞳を潤ませ、頬を赤く染めた真由子が思い切ったように口を開く。
「私は、とらちゃんが好きだよ」
半ば予想していた言葉ではあったが、それでもその衝撃は思っていた以上で、
とらは驚きのあまり目を真ん丸に見開いた。
『おめぇ、うしおの嫁になりたいんじゃなかったのかよ』
とらの言葉に真由子はふ、と淡い笑みを浮かべるとゆるゆると頭を振る。
「うん。前はね……そう思ってたよ。うしおくんのこと、今でも大好きだけど……。
でも、でもね、私、うしおくんよりも大切なヒトを見つけたみたい。
とらちゃん……私のこと、嫌い? 面倒だと、思ってる?」
真由子の問いに軽く溜息を吐くと、とらはゆっくりと口を開く。
『面倒だとは思っちゃいるが……おめぇのことは、嫌いじゃねぇよ』
「本当、に?」
とらの言葉に真由子がぱぁ、っと表情を明るくする。
『ああ。おめぇはわしが喰うんだぜ? 言っただろうが、もう忘れたかよ?』
「ううん、覚えてるよ。私、とらちゃんになら、今すぐ食べられてもいいんだよ」
真由子の言葉にとらは呆れたとでも言いたげな笑みを零す。
『ホーント、おめぇは愚か者だよな。自分から喰われたがる人間なんぞ、見たこたねぇ』
「でも、本当だよ? 本当に食べられても……」
『あのな! おめぇみてぇな美味そうな人間は、そうそう見つからねぇんだよ。
美味いものを喰うにゃ、多少の苦労は仕方ねぇだろ?……そういうこったよ』
「え……。それって……」
『んーだよ、何度もわしに同じこと言わせんな』
怒ったような口調が照れ隠しだということが分かって、
真由子はくすくすと小さく笑いながら上目遣いでとらを見つめる。
「もっと分かりやすく言ってよ、とらちゃん……」
真由子の言葉にとらは神妙な面持ちで居住まいを正した。
『いいか、よく聞けよ』
「うん」
期待に満ちた黒目がちな瞳がとらを見つめる。
『わしはおめぇを喰うためなら、何だってしてやらぁ。あの誓いの時も……そう言っただろうが』
「……うん……」
『分かったかよ、マユコ』
フイッとそっぽを向いたとらの照れたような横顔に、真由子が柔らかな笑みを零した。
「あのね……もう一度、言ってくれないかなぁ」
『あぁ?』
「だって、あの時…言ってくれたでしょう? 何度でも、って……」
『そんなことばっかり覚えてんのな』
「……ダメ?」
縋るような瞳で見つめられて、それでもう、とらの口からは「ダメだ」のひと言は言い出せなくなった。
盛大に溜息を吐いて、とらは真由子の頭をわしわしと乱暴に撫でる。
『おめぇは、わしが喰うと決めた瞬間からわしのものだ。
毛の一筋、血の一滴、骨の一本、何から何まで全部わしのもの。
他の奴になんざ絶対やらねぇ。
おめぇら人間の言う「アイ」なんつーのはわしにゃよく分からんけど、
そんなに大事なら全部喰っちまえばいいんだよ。他の奴に取られる前にな!』
真由子の大きな瞳にみるみる涙が溢れ、静かに頬を伝う。
「とらちゃん…ありがとう……。大好き……」
ぽろぽろと涙を零しながら、真由子は満面の笑みをとらに向ける。
『ホーント、おめぇは馬鹿な女だよなぁ』
「馬鹿でも愚か者でもいいよ。とらちゃんと一緒にいられるなら、それでもいい……」
細い腕を精一杯伸ばして、真由子は大きなとらを抱きしめようとする。
『ばぁか、無理に決まってんだろが』
とらの大きな腕が真由子の身体を攫って、胸元に抱く。
「うん。でも、そうしたかったんだもん。
とらちゃんが私にしてくれるように、私もとらちゃんを抱きしめたいよ」
『いいんだよ、んなこたしなくても』
「でも……」
真由子が不服そうに口元を小さく尖らせるが、そんな拗ねた顔でさえ──とらの食欲を酷くそそるのだ。
『おめぇ…気付いてねーのか?』
「何が?」
『抱きしめることが出来るのは、何も腕だけじゃねぇだろ?
おめぇはそんな小せぇ身体で、いつもわしの全てを捕らえて……離しやがらねぇ……。
ったく、わしとしたことがよぉ』
ぶつぶつと零すとらの言葉に真由子が不思議そうな顔をする。
「え? え? 何? どういう……」
『あ……? んーだよ、自覚もねぇのかよ。
いいか、おめぇは今のままでいればいいんだよ。
そのままで十分美味そうなんだからよ。分かったか?』
「う、うん……」
とらは己の腕の中で戸惑った表情を浮かべている真由子の顔を覗き込む。
『なら、美味そうなおめぇをわしに味見させな、マユコ』
とらの言葉にぱっと目を見開いた後で、
ふうわりと幸せそうに笑った真由子が潤んだ瞳をそっと閉じる。
艶やかな真由子の桃色の唇に、とらはそっと唇を重ねた。


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