日常的小話2

『マユコ、まだ寝ないのか?』
「んー、あと少し……」
電気を消した部屋の中、机の上のスタンドだけが真由子の手元に光を落としていた。
『なぁ』
とらの焦れたような声音に、真由子は背後を振り返るとベッドの上へ視線を向ける。
「なぁに? とらちゃん」
学期末の定期試験まであと3日と迫った週末の深夜、真由子の顔にも疲れの色が濃くなっていた。
『おめぇ、顔色悪ぃぞ』
鼻の頭にぎゅっと皺を刻んで、とらが険しい顔をする。
「ん、さすがにちょっと……疲れちゃったなぁ」
ぐるりと首を回して、真由子は力なく笑った。
『明日は「どよ」で「がっこ」も休みだから、ちったあゆっくり出来るんだろ?』
「うーん……。でもまだ数学の試験範囲は勉強してないのよねー。
私、数学はちょっと苦手だから…あんまりゆっくり出来ないかも」
真由子の言葉にとらが渋い顔をする。
『だったら、とっとと寝た方がいいんじゃねーのか? それじゃなくてもすぐビョーキになるのによぉ』
ベッドの上で口元を尖らせている金色の妖の姿に、思わず真由子が吹き出す。
薄い肩を震わせてくすくすと笑う真由子に、とらはますます不機嫌になる。
『何が可笑しい?』
「だ、って……」
『あのなぁ、ビョーキの人間は不味ぃんだと何度言ったら分かるんだ?』
言葉とは裏腹なひどく優しい視線に、真由子の胸の鼓動がとくん、とひとつ跳ねた。
「とらちゃん…心配してくれて、ありがとう」
真由子はくるりと椅子ごと回転してベッドの方へ向き直ると、とらにぺこりと小さな頭を下げる。
『ばーか。わしはエサの心配をしてるだけよ。鮮度が命だからな』
「うふふ。そうなんだ……」
幸せそうにふうわりと笑う真由子を、とらは伸ばした腕に攫い胸元にそっと抱きしめる。
「とらちゃん……」
『今日はもう、仕舞いにしな』
「うん」
真由子を抱きしめたまま、とらはベッドの上にごろりと転がると、
変化させた髪をするりと伸ばしてスタンドの明かりを消した。
『寒くねぇかよ』
「うん、大丈夫。とらちゃん、あったかい……」
薄いパジャマ越しに伝わる温もりに真由子はうっとりと目を閉じる。
「朝まで……こうして、抱いててくれる?」
真由子の小さなお願いに、とらは欠伸混じりの声で答えた。
『……おめぇがそう、望むならな』
「とらちゃん…ありがと……。大好き」
そう言ってぎゅっと抱きついてきた真由子にとらはふん、と鼻を鳴らす。
『ビョーキになられちゃ敵わんからな。側にいてやっから、とっとと寝ちまえ』
「はぁい」
どこよりも安全で安心出来る場所で、真由子は甘い夢を見る。
あどけない笑みを湛えた寝顔にとらは小さく笑うと、
足元へと追い遣られていた毛布を真由子にそっと掛け、
毛布ごと華奢な身体を抱き寄せ目を閉じる。
金色の妖と少女の、穏やかな眠りの刻は深く静かに過ぎていった。


あとがき /  textへ戻る